HITORIGOTO

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『 雨の音 』  NO.5

  第五話 夜の雨 2

 自分の腕に爪を立てた。濡れた薄い麻の上着から、痛みが伝わる。
 加藤孝実はもういない。その事実が、やっと私の頭にインプットされた。
 もう、会えない。話せない。笑いかけてもらえない。励ましてもらえない。……抱きしめてもらえない。
「死」を理解する事が、こんなに難しい事だとは思わなかった。たとえ、自分を拒否されても、同じ次元にいると思えば、耐えることも出来る。同じ空気を吸っていると思えば、想いを巡らすことも出来る。でも……。もう、彼はいない。

 雨は次第に強くなった。肩にたらした髪から、雫が滴る。
 時折、車道を水しぶきを上げながら走り去る車の、ヘッドライトに照り付けられ、身を隠すように家に向かって歩いた。人気のない通りは、肩を震わせ、嗚咽を漏らしながら歩く私には、申し分ない場所だ。加藤とのことを、ひた隠しにかくしてきた私には、泣ける場所などない。この涙も、自宅についたら、もう流せない。私は、これから私情を捨てて、一警察官として、彼の死を白日の下に曝さねばならない。たとえそれが彼の名誉を傷つけることであっても……。

 その時、後ろからやってきた車のヘッドライトに、突然照らされた。
 車はクラクションを二度鳴らし、驚いて振り向いた私に近寄ってきて、止まった。
 助手席の窓が開けられ、中から怒鳴り声がした。
「何やってんだ、こんな雨の中を! 乗れよ!」
「ダイちゃん……」
 一課の大川刑事だった。私は瞬間、見事に憔悴してずぶぬれで歩いている情けない姿を見られて、躊躇い、顔を背けた。
「馬鹿かおまえは。こんな夜更けに女一人歩いてて、事件にでも巻き込まれたらどうすんだ! 早く乗れ! 風邪ひくぞ」
 そう言って、助手席のドアを開けた。
「でも、濡れてるし……」
 ぼそっと泣いた後の上ずった声で、呟いた。
「いいから。血流してるよりマシだろ」
 大川は、顔を覗かせて、笑いかけた。その笑顔に惹かれるように、「うん」と頷いて、濡れた体を気にしながら車に乗り込んだ。
「どうしたの? 一課はたいへんでしょ? 聞き込みに行くの?」
「いや、夕べのうちに女の関係者には会った。朝になったら、もう一度事情を訊きに行く。鑑識に用があって行ったら、おまえは帰ったって聞いたから、送ってやろうと思ってね」
大川刑事は、後ろを確かめ、ゆっくりと車を発進させた。
「いいのに。家、近いし……」
 彼は、答えないで、真っ直ぐに前を見て運転している。ワイパーのガラスをこする音が、妙に大きく聞こえた。
 広い通りから、路地へ左折すると、暗闇の中に、一軒だけ、明りのついた家が見えた。こじんまりした二階建ての家の一階部分は、カーテンをすかして明かりが漏れている。
「おふくろさん、待っててくれてるんだろ? 心配してるかな」
 車を、家の前で止めて、彼は家を覗き込むように窓に頭をつけた。
「うん、眠っているとは思うけど、明りはつけておいてくれるの。これは父さんが、刑事だったときからの習慣。殉職してからも、しばらく家の明りはつけていたくらいだから」
「そうか。おまえの親父さんも一課のデカだったんだな」
「小学生のまだ一年生の時殉職したから、私は余り父のことはよく覚えてないのよ。悲しいけど……。母さんは、私が警官になるって言ったら猛反対したから、やっぱ引き摺っていると思うよ。だから鑑識に配属された時、手放しで喜んでた」
「そりゃあそうだろ。俺に娘がいたって、絶対に警官なんかにさせないよ。3Kどころの騒ぎじゃないからな、この仕事は」
 二人で、顔を見合わせて、笑った。大川刑事の優しい瞳が、いつもながら、気持ちを和ませてくれる。刑事課の中では、同期ということもあり、一番気の置けない友人だ。
「有難う。送ってくれて」
 私は、笑顔のままで、彼に礼を言い、ドアに手をかけた。
「高木。大丈夫なのか?」
「え……」
「加藤さんのこと。本当に冷静に考えられるのか? このヤマは、殺人事件として捜査が始る。そうなったら、加藤さんの身辺は勿論、関係者は根こそぎ洗われる事になる。おまえのことも、知られるだろう。捜査を外れるべきなんじゃないか?」
 厳しい刑事の顔が、私を見つめている。彼の言葉を反芻するまでもなく、私は唇を噛んでうな垂れた。 私は、間違いなくこの事件の関係者だ。息を一つ吐いた。そして、真っ直ぐに見つめる大川に対抗するように、視線を向けた。
「女は、何者?」
「高木……」
「分かっていること教えて。 事件のこと、知りたい」
 彼は、ふっと息を吐くと、迷うように視線を下げたが、
「風呂で死んでいた女は、山本里香といって、この町の小さな内科医院の看護師だ。独身で27歳。あの高級マンションは、彼女の持ち物だった」
 と、話し始めた。
「独身の看護婦……。あのマンションは、3LDKよ。最低でも7〜8千万はするはずでしょ? 一介の看護婦に買えるとは思えないわ。パトロンでもいたの?」
「それは、まだ今の時点では調べられてはいない。明日、彼女の両親がやってくるから、何か分かると思うが」
 大川刑事は、正面を向き直り、暗い顔で言った。
「加藤さんのほかに、男がいたかも知れないわね」
 フロントガラスの、ワイパーの動きの向こうにある暗闇を見ながら呟くと、大川がまた厳しい表情をして私に言った。
「おまえ……。本当に関わりないんだよな、このヤマ」
「ダイちゃん。どういうこと?」
「加藤さんに未練があって、二人を……」
 思いもかけない彼の言葉に、堪えていたものが噴出すように、大きな声になった。
「待って! 疑っているの? 私が殺したとでも言いたいわけ! 女がいた事だって、知らなかったし、別れ話だって、突然ケータイで言ってきたのよ! 私達、一ヶ月くらい会ってなかったし、今までだって恋人らしい事なんか……」
 溢れてきた感情を、どうする事も出来なかった。声が詰まり、嗚咽が込み上ってきた。加藤との別れ、彼の死、女の存在、警察官としての立場。そして、疑いの言葉……。全てが混ざり合い、涙となって、再び頬を流れた。
「すまない……。分かってるよ……分かってる」
 声を殺して、肩を震わす私を、大川は腕を背に回して抱き寄せた。
 私は、彼に抱きしめられて、その胸の中で声をあげて泣いた。何もかも、体から搾り出すように。


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『 雨の音 』  NO. 4

  第四話 雨の夜

 夜を徹して、鑑識活動は続いた。
 私は、作業に忙殺され、感情の赴くままに考えをめぐらす暇など無かった。それが幸か不幸か、頭の中に加藤孝実をただ一被害者の名前として認識していった。私の脳裏で微笑む加藤警部と同一人物であると理解する事を、一先ずは拒否したのだ。
 一通りの採集が済んで、現場保護のための青いシートがベランダと玄関にかけられたのは、午前一時を過ぎてからだ。その後、私達は遺留品を携え、本部へと戻った。

 午前二時。
 鑑識課に戻った私達は、一息つく間もなく、それぞれに持ち帰った遺留品の鑑定の準備に入った。流石に体は石のように重い。それにもまして、今度のヤマは、全員の気持ちまで陰鬱なものにしている。ただ、「何がそこで起こったのか」ということを早く知りたいと、誰もが思っている。皆、無言で手際よく作業に移ってゆく。
 慌しく採取した指紋を整理していた私に、ヤマさんが頭をなでつけながら近寄ってきた。
「真希ちゃん。今夜は、一旦家に戻って休め。明日、所轄との合同捜査になるだろうから、朝から忙しくなる。明日は泊まりになるだろうから、準備もあるだろう」
「え、でも……」
「早く事件の全貌を知りたいのは分かるが、焦りは禁物だ。特に身内の捜査だ。ミスがあっては取り返しがつかん。いいね、明日、新たな気持ちで取り組めばいい」
「捜査本部が立ち上げられますか?」
 カメラを手にした大前田さんが話を遮るように、ヤマさんに尋ねた。全員が同じ表情で、ヤマさんを見つめる。「捜査本部」が出来るという事は、ただの心中事件とは考えていないという事だ。
「いや、はっきり決ったわけではないが、そういうこともあるということだ。とにかく、明日に備えて、真希ちゃんは家で休みなさい」
 ヤマさんは微笑んでいたが、皺が刻まれたやつれた目に厳しさが見えた。彼は、私が現場で動揺していたことを知っていたのだろう。彼の言葉に、客観的で正確な判断を迫られる鑑定作業に、実のところ心身ともに疲れきっていた私は、大丈夫だと胸をはれなかった。
「分かりました。明日、朝戻ります」
「ああ、そうしなさい。ついでに悪いが、おふくろさんに朝めしの差し入れ頼んでくれないか。この時間だと、コンビニくらいしか開いてないし、今夜食うや食わずになるだろうから」
 ヤマさんはそう言って、私の肩を叩いた。実家が歩いていける距離である事から、事件の日は、母がいつも気を利かして、差し入れを用意する。不規則になる署員達には喜んでもらえて、母はいつも張り切っていた。
「はい。きっと用意してると思います。事件で遅くなるって言いましたので」
 皆が、私に顔を向けて笑いかけ、口々に、
「お疲れさん。おふくろさんに宜しく」
 と、声を掛けてくれる。緊張したままだった体から、ふっと力が抜けた気がした。全員に頭を下げながら、私は取り急ぎ部屋を出て、「第一鑑識班」と書かれたドアを閉めた。途端に疲労感が襲う。重い足を引き摺り、ロッカーへ向かった。
 三階の鑑識課のフロアから二階へ階段で降りると、真夜中にも関わらず、廊下を署員が慌しく行き交い、ドアはいちいち開閉され係官が出入りしている。捜査一課の混乱振りが窺い知れた。
 加藤警部の死は、自分達の課の内部から、こともあろうに男女関係というスキャンダラスな事件を世間に配信する事になるのだ。皆、頭を抱えているだろう。刑事が被害者であっても、こんな事件は世間の同情など期待できない。きっと、加藤警部の人となりから、捜査一課の内情まで、尾ひれがついて報道されるに違いない。
 私は、二階の通路を振り返りながら、重苦しい気持ちを抱いたまま、一階へと階段を降りた。

 庁舎を出ると、深夜の街は深い闇に沈んでいた。ぽつぽつと細かい雨の粒が体に当たった。月も星もない空は、天地も分からぬほどに深い闇をもたらしている。
 その中を赤色灯を回転させたパトカーが、数台、静寂を破って止まっている。また、一台が、眠った街へ走り去った。今夜は、この場所だけ、夜から切り離されたように騒々しさが続く。

 家に向かって、ゆっくり歩き出す。雨が少し強くなって、街を打つ音がして来た。
 私は、やっと自分を取り戻したように、雨に打たれながら、事件の事を思い返していた。
 加藤警部の死……。体格の良い、腕っぷしも強い加藤警部が、何の抵抗もなしに、むざむざと女に胸を一突きで殺されるなんて、どう考えても腑に落ちない。それに女も、手首を切るのに、水の中でかみそりを使うだろうか。それも全裸で……。私の脳裏で、第3者の影が黒子のように動いて見えた。
 加藤孝実は、いつも何かを追っていた。私には、それを明かしたことはないが、二人でいても、事件のことをじっと考えているときがあった。それがデカなんだろうと、いつも自分に言い聞かせていたが、結局、私といても、彼は刑事の仮面を取る事はなかった。彼の闘争本能は、どこまでも突き進んでいって、正義を貫く。そんな彼には、私など本当は必要なかったのかもしれない。
 不意に加藤警部の眠ったような顔が、瞼に浮かんだ。そして、その場面を消すように、浴槽の中の美しい女の死体が現われる。二人は、恋愛関係だったのか……。そう思うと、怪しく二つの死体は、体を寄せ合い絡まった。冷静だった気持ちが、途端に乱れる。
「ああ……」
 歪めた顔を手で覆った。ズキッと胸に痛みが走る。
「もう、彼は関係ない人よ。どんな関係だろうと、私が詮索することじゃない」
 思わず、自分に言い聞かせるように言葉を吐いた。そして静かに息を吐く。
 私達は既に終わっていたのだ。いつからか分からないが、彼には私ではなく、一緒にあの部屋で死んだ女と歩こうとしていた人生があったのかもしれない。彼の事はもう、諦めたじゃないか!
「俺のことは忘れろ」――そう言った彼の突き放すような顔が、浮かんできた。愛してほしいと縋る私を拒絶した彼。
 加藤は、最後まで愛しているとは言わなかったし、愛しているかとも訊かなかった。私達は、男と女であっても、お互いを必要としない関係だったのか……。
 いや、少なくとも私は、加藤警部を愛していたし、彼といると幸せだった。ただ、体を合わせるだけの関係でも、私には心の満たされる時間だった。
 でも、もう会えない。二度と……。
 はじめて、体の奥底から、込み上がるものを感じた。息がつまり、背を丸めて呻いた。
 雨に打たれながら、私は泣いていた。

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連載小説 『雨の音』  NO. 3

 第三話 現場
 
 閉ざされた窓の外は、いつしか暗くなっている。
 私達は、現場撮影が終わった後、慌しく遺留品の採取に取り掛かっていた。足跡、指紋、凶器、髪の毛などの遺留品、そして、現場保存。この部屋の全てが犯人に繋がる。いや、犯人がいると仮定するのは間違いかも知れない。今の二つの死体を見て想像する限り、第3者の関与はなかったとも言える。だが、私の思考は、スキャンダラスな無理心中のあらすじを排除しようとする。ささやかな願望のもと、見えない第三者の痕跡を追っている。加藤警部の死を客観視できない、割り切れない気持ちが鑑識としての私をも支配する。目に映った全てを信じたくない……根底にあるこの思いが、5年間の私の鑑識としての実績さえ、崩してしまいそうだった。
 私は、頭を巡る様々な憶測を打ち消すように頭を振った。事件の詳細を把握し、事実を明らかにするのは私達鑑識の仕事ではない。ここで、部屋の持ち主である女を知るべく、躍起になって動き回っている一課の刑事たちであり、もうすぐ到着する検察官たちである。私達は、ただ真実に近づくために、ありもしないものを見つけ出し、そして、あるべきものを白日の下に曝す。真実を導き出し裏付ける物証を得るために、地に這い蹲り、泥の河をさらい、藪に入る。それが職務だ。
「真希ちゃん、どうだ。リビングは終わりそうか?」
 指紋採取のブラシを持つ手を休めず、私は背中を向けたままで、入ってきたヤマさんに答えた。
「あ、はい。もう少し掛かりますが」
「そうか。そろそろ遺体を運び出すぞ。その後、寝室を頼む」
 それだけ告げると、紺色のキャップのつばを下げ、ヤマさんはリビングを出て行った。
 温厚な山倉巡査部長は、鑑識一筋のベテランらしく、忙殺されている皆に目を配りながら、若い者に的確な指示を与えていく。県警の鑑識課も様々なカテゴリーに分かれ、科学捜査が主流になってきたが、やはり現場では、経験と知識が豊富なヤマさんのような人は不可欠だ。しかし、彼も後3年で退官となってしまう。
 リビングで指紋の採取をしていると、開け放したドアから、担架が運びこまれるのが見えた。私は、跳ねるようにドアへ走った。
 寝室では、加藤警部の遺体の検死を追え、周りにいた皆が手を合わしているところだった。そして、遺体は、救急隊員と刑事の手で担架に乗せられ、顔からつま先まで、丁寧にシートが掛けられた。
 私は、その様子をじっとドアの影から見守っていた。でも、その包まれた遺体が、どう考えても、加藤警部だと思えない。ただ、運び出される担架を見ながら、体も心も凍りついたように動けないでいた。うな垂れる事も、手を合わせることさえ出来ない。勿論、泣き叫ぶ事も……。女といたということは認識できても、死んだという事が理解できないでいる。かって愛した男の死を、私はどう受け止めたいのか……。沈着冷静なな鑑識官の顔を持つ私が、この場にそぐわない混乱する女の部分を封じているのだろう。
 しかし、彼が、こんな死に方をするなんて……。
 加藤孝実(かとうたかみ)は、ノンキャリアの出世頭だった。生まれついての天職と本人が言うくらいに、加藤の全てがデカだった。昼も夜もなく事件を追って、街を駆けずりまわっている様な熱い刑事だった。そのために家庭も持たず、四十歳手前の独身男は、いつも前向きで精力的だった。
 私は鑑識に配属され、初めて出向いた凄惨な強盗殺人の現場で、彼と逢った。機動鑑識班の紅一点となった私は、男達の中で、引けをとらずに働きたいという気負いがあったが、流石に惨殺された死体を目の当たりにして、気を失ってしまった。何故、そうなったか分からないが、気が付いたとき病院のベッドの脇に立っていたのが彼だった。大事な現場を放り出し、私についていてくれた訳だ。
 もともと刑事達を支える女房役の鑑識と現場のデカ達は、強い絆で結ばれている。私と彼も、事件の度にあうようになると、信頼関係は自然に生まれてきた。
 いつも、大川をはじめ、自分の部下には厳しい加藤が、鑑識の仕事になかなか馴染めない私には優しく接してくれた。女だからって甘やかすなと言った私に、「女は守るもの」と言って笑顔を向ける。その時、私は彼に惚れたんだと思う。十歳も年の離れた未熟な私が、肩肘を張って困難な鑑識の仕事に携わる姿を、加藤警部は放って置けなかったのだろう。仲間うちでは泣き言も言えなかったが、次第に彼には心を明かすようになっていった。

 私の立つ前を、担架は重そうに運ばれてゆく。グレーのシートに頭からすっぽりと包まれ、ベルトで担架に縛り付けられている。それを黙って見送る。本当にこれに乗せられているのは加藤なのだろうか。他人の空似で、全くの別人ではないのか。
「加藤警部も普通の男だったってことだね」
 ぼんやり外へ出て行く担架を見ていた私の背後で、ため息混じりの声がした。
「曽我先生」
 不機嫌な顔をして立っていたのは、検死のためにやってきた曽我助教授だった。彼は、この町の大学の助教授で、法医学研究所の主任研究員だ。県警からの依頼で、困難な事件には出向いて検死に当たる。まだ三十代だが、的確な所見は、現場の者からの信頼も厚かった。彼は銀縁の眼鏡の奥の目を細め、私と並んで担架を見送った。
「全く、本部も大騒ぎになるぞ。女の部屋で無理心中だなんて、マスコミの格好のネタだ。どこから漏れるのか知らないが、私が到着した時には、このマンションの下に、既にテレビ局が来ていたよ。困ったものだ」
 眼鏡を指で上げながら、知的な顔を歪めて、曽我は冷ややかに言った。
「先生。まだ心中なんて決ってませんから。加藤警部が、そんなに簡単に女に刺殺されるなんて思えませんし。そんな言い方、死んだ人に失礼ですよ」
 私は、怒りの矛先を、このいつもは冷静で思慮深い助教授に向けた。
「あ、いや、そうだね。何だか、身内の事件になると冷静になれなくてね。加藤さんがこんな死に様を曝すなんて、私だって信じられないんだ」
「はい、分かります……。確かに先生の仰るとおり、困った事ですよ。真実がどうであれ、今夜の報道で、世間は警察官のスキャンダラスな事件に、皆顔をゆがめるのは間違いないですもの」
 私は、閉じられた玄関の扉を見つめながら言った。曽我助教授も、白衣のポケットに手を突っ込み、沈鬱な表情で見ている。
「死亡推定時間は出ましたか?」
「ああ、まだ詳しく検死してみないと分からないが、昨夜の深夜というところだろう。死因は細い刃の凶器で心臓を一突き。即死に近い状態だったと思う。解剖してみないと断定は出来ないが」
 曽我は、そう言うと肩で息をつき、私に厳しい顔を向けた。そして、口数の少ない私に、
「2〜3日は署に泊り込みだな。あんまり無理をしないようにね。体が資本だよ」
 と、優しい言葉を掛け、ポケットから出した手で、私の肩甲骨の辺りをポンと軽く叩いた。
「ありがとうございます」
 私はまだ、扉に目を向けたまま、彼に礼を言った。

 加藤警部の遺体に続いて、女も運び出された。二体は、明日、曽我の手で解剖に処され、死因が特定される。
 私は、また指紋の採取に戻った。
 明日になれば、ある程度の真実が明らかになるだろう。今夜は眠れない夜を過ごす事になる。

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連載小説 『雨の音』     NO.2

 第二話 二つの死体

寝室から飛び出して、廊下を玄関まで戻り、そこにある白いガラスの格子戸を開けた。
明るい陽光が、空間に溢れている。南側に面した20帖はあるリビングに入ると、一課の刑事たちと、二人の鑑識が話をしていた。
血相を変えて入ってきた私を見つめて、皆が暗い顔を向ける。
「真希ちゃん、どうした?」
 鑑識係の中で、一番年配の山倉さんが微笑みながら、私に声を掛けた。
「女が風呂場で死んでいるって……」
「ああ、浴槽の中で手首を切っている。えらいことになったよなあ。女だなんてなあ、加藤さんらしくないさ」
 と、山倉さんは、立ち尽くす私の傍へやってきて、肩をポンポンと叩いた。彼の後ろで、三人の刑事が困惑した顔をして、私を見ていた。その中に心配そうな大川刑事の顔もある。彼も取り乱した私を黙って見ていた。
今、私はどんな顔をしているのだろう。平常心でない事はわかっている。顔面の皮膚がピリピリとしびれるような、胸が潰れるような、とにかくこの驚きは冷静さを装う事など出来ないほどに、私を打ちのめしている。加藤警部の死で、ここにいる警察関係の人間が動揺している理由は、私に当てはまらない。いや、今の私には、起こったことを冷静に判断する事などできるはずもない。
「バスは?」
「そのドアのつきあたりだ」
 ふうっとため息を漏らして、山倉さんが指をさした。私はそのドアに駆け寄った。
「待てよ、高木!」
ドアを開けると、大川が私を引き止めるように後に続いてきた。
「何も言わないでよ。聞きたくない」
「冷静になれよ。皆、動揺しているのは同じだ」
 と、私の肩を後ろから掴むと、周りを気にして、小さく呟いた。
「分かっている。大丈夫、私もデカの端くれよ」
 彼の手を払いのけるようにして、風呂場のすりガラスの入ったドアを開けた。
広い洗面室とトイレ。その奥の浴槽を仕切るガラス戸。ムンとした湿気が、奇麗に片付いたサニタリーに生臭い臭気を感じさせる。私は入ってきた勢いのまま、ドアを開け放した。
「うっ……」
 思わず、手で口と鼻を覆った。瞬間、髪の毛が逆立つような恐怖に囚われる。
 真っ赤な水を湛えた浴槽に、蝋人形のように真っ白な全裸の死体。ゆったりと足が投げ出せるデザインの浅めの浴槽に、まるで寝かされているように、8分目程の水の中に死体は浮かび、乳房を赤い水から突き出している。
 しかし、その女の顔は、大きく口を開け、恐怖に引きつった目をしっかりと開いて、天井を凝視していた。四方が真っ白な浴室のタイルで、血の重みが混ざった赤い水が恐ろしく鮮やかに見える。
「手首は水の中だ。壁に血が飛んでいないところを見ると、水の中で手首を切ったようだな」
 私は、乾いた口に溜まる生臭いような唾を飲み込んだが、嫌な味が口中に広がった。篭った血のにおいと湿気は、眩暈を覚えるくらいに、私の本能をいたぶる。
「自殺じゃないわね」
 私は、女の脅えた顔を見て、大川刑事に言った。
「だろうな。手首を引き上げてみたが、躊躇い傷もなかった。加藤さんの殺され方と言い、心中というには不可解な事が多すぎる」
 私の横に立って、大川刑事は、低い声で答えた。私達が到着するまでに、一課の連中はつぶさに事件を把握したようだ。
 不可解……と言った大川刑事の悔しそうな横顔を見た。彼は、日ごろから加藤警部を先輩と慕い、人間的にも尊敬していたようだった。私にはまだ、加藤警部の死を頭でわかっていても、感情を引き出すほど心に刻み付けられてはいない。ただ、目の前にある真実に、悲しみを封じ込められている気がする。彼とこの女が、ただならぬ関係だったという事。私の心に、知らない女と全裸で死んでいたことに対する怒りが渦巻いている。それは、「何故」と繰り返して、私を苦しめた。
「ダイちゃん、お願いがあるの」
「ん? 加藤さんのことか」
「うん。私と彼とのことは、きっと貴方以外知らないわ。出来るなら、秘密のままにしておいて。勿論、私はこのヤマとは全くかかわりがない。彼とは、2週間前に別れているし」
「え? 別れたって……」
 私は唇を噛んだ。付き合っていたことは大川には漏らしていたが、別れたことは伝えなかった。
「彼の方から一方的に、俺に関わるなって言ってきたの。二度と恋人面をするなって。要するに、彼にはこの女がいたと言う訳なんだね。突然だったから、落ち込んだけど、今理由が分かった」
「そうか……。まあ、お前さんが関わっていないのなら、個人的なことに興味はない」
「有難う」
大川は、大きなため息を吐いたあと、
「男と女なんてこんなものさ。どっちにしても怨恨だろう。加藤さんがまさかこんな死に方をするなんてな」
 と、はき捨てるように言った。
 私は黙って、浴槽に沈む、生きていたらどこにいても目立つだろう美しい女の死体を見つめた。

              第三話へ
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連載小説 『雨の音』  NO. 1

   第一話 事件

 肩が冷えてきた。
 
 二の腕でしっかり体を抱く。唇を噛み締めながら、濡れた服の下の骨と薄い筋肉を掴む。爪を立て、肉を削いでしまいたいほど、自分が忌々しい。
 雨はまだ降り続いている。一日の喧騒を奇麗に洗い流すように、細い銀の糸は、暗い闇色の空から落ち、雨の沁みこんだ歩道を舐めるように流れる。無造作に歩く私の靴にしぶきが上がって、さらに体が冷えてゆく気がした。
 私は、目を閉じて、顔を空に向けた。こうしていれば、涙も清められる。裏切りに流された黒い涙。貴方の死体に向かって、憎しみしか抱かなかった殺伐とした心に、雨が沁みる。このまま、今日見た全ての悪夢を、脳裏から洗い流せれば、また笑う事も出来るかも知れない。それとも、このまま心を凍りつかせるか……。どっちにしても、もう貴方はいない。

     ****
 
 そこは、大通りに面した十二階建ての高級マンションの八階だった。各自、車から降り、機材を肩に掛け、玄関ホールに続く階段を駆け足で上がる。広いホールに四機あるエレベーターの二機にに分乗して、無言で現場へ向かう。
 県警本部鑑識課機動鑑識係八名が、事件現場へ到着したのは、午前四時二十分。午後から曇った空のために、夕刻が早まったように感じる日だった。
 玄関へ続く共有通路には既に、数人の巡査がロープを張り始めていた。私達は軽く声を掛け、ドアへと急ぐ。一人の巡査が、
「こちらです」
 と、先んじて案内にたった。
 その玄関には狭いがエントランスがあり、奥まったところに一戸建て感覚の重厚な扉がある。
「鑑識の森田です」
 巡査が開け放した扉から、名前を名乗りながら主任が中へ入った。丁度玄関に、先に来ていた一課の刑事が立っていて、
「ご苦労様です。お待ちしていました。現場は寝室です」
 と言って、軽く敬礼した。彼は私と同期に県警本部第一捜査課に配属された刑事、大川浩介。
 一課のヤマには、ほとんど鑑識が出向くため仲間意識も強い。大川刑事とも、気安い友人関係を保っている。
 しかし、彼はいつになく硬い表情をしている。きっと凄惨な現場が待っているに違いない。
 無言のまま次々と室内に上がりこむ鑑識課のメンバーに、大川刑事は道をあける様に壁よりに立っていたが、最後に上がろうとする私の前に突然立ちはだかった。
「高木……。お前は入らない方が良い」
 と言って、私を見下ろした。私は長身の彼の小脇からチラッと部屋を覗き込み、そのまま視線を彼に向けた。
「何故よ! 鑑識課の私が、現場に立ち入れない訳でもあるの? 馬鹿にしないでよ」
 きっと睨みつけると、まだ若い大川浩介は大きく息を吐いて、困惑した顔を近づけ小声で言った。
「殺されているのは……、加藤警部だ」
 告げられた名前が、すぐに頭に入らなかった。ただ、大川刑事の沈鬱な顔を瞬きもせずに見つめる。
「え? 加藤……って。嘘でしょ? つまらないこと言わないでよ」
 見上げる脅えた私の顔を、彼は目を細めて哀れむように見つめる。その表情に、ごくりと生唾を飲んだ。
 私は冗談だと一笑した後、もう一度彼に怒った顔をぶつけた。
「冗談言ってないで、そこをどいて。なんで加藤警部が殺されるのよ」
「本当だ。俺達も驚いて、皆動揺している。こんなところで……」
「嘘!」
 私は、大川刑事の胸を、腕を伸ばし突き飛ばした。そして一歩下がった彼の横をすり抜けた。
 信じられるわけがない。名前を聞いても半信半疑のまま、とにかく急いで現場へ向かう。
 
 内部は、天井にダウンライトがいくつも埋め込まれ、部屋を繋ぐ窓のない廊下も明るく照らされている。白い壁には絵画が飾られ、その両側にいくつかマンションらしからぬしっくりした塗装の木目のドアがあった。その三つ目のドアが大きく開けられ、中から廊下へ、カメラのフラッシュの閃光が漏れてきた。
 私は、部屋に飛び込んだ。
 その十五帖くらいの広い寝室の中央に、ヘッドボードを壁につけた広いベッドが置かれていた。そのまわりを、鑑識の紺色のジャンパーと、少しくたびれた背広の男達が取り囲んでいる。写真係の大前田巡査だけが、一人被写体を追う様に動き回っている。
 私は、息を止めて、その輪に近づいた。そして、森田主任の背後から、隠れるようにしてそのベッドの真ん中に仰向けに横たわっている男をのぞき見た。
「警部……」
 殺されていたのは、間違いなく加藤孝実警部だった。大川刑事と同じ捜査一課、つまり殺人課の主任。そして彼の直属の上司。
 静かに、まるで眠っているように横たわった体からは、死んでいるということが容易に理解できない。首元まで毛布を掛けられて、血液のどす黒い赤に塗れているわけでもなく、抵抗して暴れたり、部屋が荒らされている訳でもない。ただ、静かに横たわっている。生前と変わらず、口元の締まった彫りの深い顔には苦渋の痕さえ伺え知れない。
「まさか……! 何故……」
 呻くように声が口をついて出た。体が宙に浮くような、五感を閉じられたようなショックに襲われる。真っ白な頭の中に、「何故」と「嘘」という二語が渦巻いている。
「真希ちゃん、大丈夫か? 俺らもただびっくりして、ここで加藤さんを見た時は人違いかと思ったよ」
「でも、どうして……死んだなんて、そんな」
 私のうわ言のような言葉に、森田主任が厳しい顔を向けて怒鳴った。
「しっかりしろ! 何故死んだかを調べるのがデカの仕事だろうが!」
「あ……」
 はっとして、森田主任を見つめた。声を荒げる事などない温厚な森田主任の顔も、苦渋の表情を浮かべている。
「身内の事件は辛いが、加藤さんのためにもいい仕事をしてやらないとな」
 大河内警部補が私の肩を掴んで、諭すように言ってくれた。
「はい」
 二人に、顔を上げて返事をした。そして震える唇をぐっと噛み締めた。
 しかし私の中では、彼の死がまだ理解できない。この目で、今見ているのに、横たわっているのは別人で、加藤警部は、この現場のどこかで捜査に当たっているような気がしてならない。
「見て下さい。返り血を浴びないように毛布の上から刺したんですね。この毛布の切れ幅だと相当に細い凶器だ。それに純毛の厚い毛布を突き破り一突きに絶命させているところを見ると、鋭利で鋭いもの」
 フラッシュのたかれる中で、刑事たちは顔を見合わせながら、頭を突合せ、加藤警部を見下ろしている。
 そして、森田主任が、カメラを制して、ゆっくりと毛布を捲った。
 強張ったままで、その様子を見ていた私の背筋に戦慄が走った。
 彼は全裸で、その胸から流れた血の海に浮かんでいるようだった。真っ赤な血は、悉く彼の下の白いシーツとクッションに吸い込まれていた。
「心臓を一突きだ。眠っていたところを毛布の上から、狂いもなく……。女に出来るのか?」
 ずんぐりした体つきの大河内警部補が、胸の傷を確かめるように顔を近づけ、言った。
「女?」
 私は思わず、声を上げた。
「ああ、加藤さんを刺したあと、風呂場で手首を切って自殺している。全く信じられんよ」
 振り向いた大河内警部補の丸顔を、言葉もなく見つめた。体から、凍った血が途端に沸騰して思考を停止した頭に集ったように、私は、息を荒くして、風呂場へ駆け出していた。

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posted by 関 なみ 08:16comments(0)trackbacks(0)