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『夢のあとさき』  (4)

     『夢のあとさき』  (4)

 見上げると、澄み切った青い空に、枝を伸ばす桜の薄い桃色があでやかで美しい。
 ウエデングドレスの裾を気にしながら、花嫁の席にひとり座る真帆には、桜の美しさも慰めにはならない。

 真帆の友人がピアノとバイオリンの演奏を始め、流れるクラシックの旋律に、教会から出てきた列席者達も穏やかに会話を交わして始めた。
 
 教会のガーデンには自由に酒と料理が選べるように広いテーブルに並べられている。その前に招待客用にテーブルが置かれ、皆、思い思いに料理に手を伸ばし、グラスを傾けている。

 披露宴などしないと言い張った祐介を説得して、一風変わったパーティを考えたのも、全ては関わりのある人達から、祝福して貰いたかったからだ。

 心から喜んでくれた母と祐介の家族、遠方から遣ってきてくれた親族や、気の置けない友人達に囲まれて、祐介とともに笑顔に包まれる。それが一番の真帆の望みだった。

 しかし、式が終わっても姿を見せなかった祐介に、真帆のささやかな望みも達せられないまま、重苦しい雰囲気でパーティは始まってしまった。

 真帆は、一人ポツリと白い椅子に座って、笑顔のない招待客を眺めていた。

 義理の両親は、テーブルを巡り、息子の非礼を謝って回っている。何度も深々と頭を下げている両親の気持ちを思うと、真帆は胸が痛んだ。
 母の孝子は、叔父や叔母や親族の中に身を隠すように、うな垂れたままだ。一番、喜ばせて遣りたかった母の肩を落とした姿に、胸が締め付けられる。

 憧れの教会でのウエデイングも、二人で話し合って決めた桜の咲く下でのパーティも、今では何の意味もない。

「真帆、大丈夫?」
「有子、麻ちゃん……」
 親友の二人が、グラスを手に声を掛けに来た。
 真帆は、心配そうな二人に、笑顔を向けた。
「うん。今日はごめんなさい。こんなことになっちゃって。車だから、渋滞に巻き込まれているのかも知れないし、こっちに向かっているとは思うんだけど……」
「連絡は取れないの?」
 二人は、真帆を気遣いながら、手に持ったグラスを差し出した。
「ありがとう。ダメなの。あの人のことだからケータイ、充電切れでもしてるんだと思うけど、繋がらないの。ほんとに困った人だわ」
「そうなの。心配ね、事故とかじゃあなければいいけど」
 髪をアップした楚々とした顔を曇らせて、友人の有子は溜息を吐いた。
「大丈夫よ。彼の部屋からここまで1時間は掛かるから、そろそろ来ると思うわ。とにかく、二人とも私のことは心配しないで楽しんで。お祝いは祐介が着いてから聞くから」
 そう言って、真帆は乾杯に空けるはずだったシャンパンのグラスを受け取り、口へ運んだ。
「そうだね。彼が現れたら、いっぱいおめでとうは言ってあげる。気を落とさないで待っていなさいね」

 真帆は、手を上げて戻ってゆく二人を笑顔で見送り、含んだシャンパンをこくりと喉に流し込んだ。
 まるで涙のように苦い味が口の中に残った。2口目を口にするのを躊躇い、テーブルにグラスを置く。
 真帆は、ぼんやりと自分を置き去りにして過ぎて行くパーティを眺めていた。
 あの人達の輪の中心で、高揚した顔で笑っている筈の自分。誰よりも幸せであったろうに。

 でも、今は青い空も、咲き誇る桜も、暖かな春の陽射しも、祝福のために集ってくれた人達も、すでに壊してしまった自分にはあってはならない光景の一つ一つなのだと思うと、真帆はその場に崩れ落ちてしまいそうだった。

 泣き叫んで許しを乞う事が、今の自分には一番必要な事なのかもしれない……。

 体中が震え、心は痛に悲鳴をあげる。溢れ来る感情を抑えられなくなり、真帆は自分の体をきつく抱きしめた。

 もう、戻れない……真帆は震える手で顔を覆った。


「真帆さん!」

 はっとして、覆った手を下ろす。目の前に恭介が膝をつき、真帆の顔を覗きこんでいた。

「あ、ごめんなさい。大丈夫です」

 慌てて平静な顔を取り戻そうとしたが、強張った顔は笑顔にはならなかった。
 恭介は、空いたままの花婿の席へ座って、体を真帆へ向けた。

「大丈夫じゃないでしょ! 一人でここに座っているなんて、辛くないわけないでしょう!」
 彼は、真帆の様子を慮(おもんばか)ってか、少し声を荒げた。

「やはり中止にした方が良いのでは? 兄に連絡は取れないのでしょう? このまま来なかったら、辛いのは貴女ですよ」
 そして、今度は真帆を諭すように、穏やかに話した。

 恭介の切れ長の涼しい目が、まっすぐに真帆を見つめる。
 真帆は、全てを見透かされているようで、慌てて視線を逸らせた。

「いいんです! 本当に大丈夫ですから。心配して頂いてありがとう。でも、私一人でも、この式だけは終わらせたいの。どうしても最後まで花嫁でいたいの」
 
「真帆さん」

「だってね、恭介さん。この結婚は私にとって、はじめての……そして、最後の結婚式になるの。だから、中止だなんて言わないで……」

 恭介に向けられた真帆の瞳から、溢れてくる涙が頬を伝った。

 懇願するように涙を零す彼女に、恭介は言葉を飲み込んだ。悲しすぎる花嫁は、兄に憎く思うほど哀れで儚くて、そして美しかった。

「真帆さん……」

 涙を止めようと震える唇を噛む真帆に、そっとハンカチを手渡して、恭介は決心したように肩で息を吐いた。
 そして、彼女に小さな声で呟くように言った。

「兄のこと……。ここに来ないことを解かっているんですね?」

 真帆は渡させたハンカチで、涙を拭う手を止めた。

 恭介の見透かすようなまっすぐな目を、逸らすことは出来ない。

 真帆は、静かに頷いた。

「ええ。何もかも解かっています……」


 丁度、クラシックの演奏が終わり、友人二人が拍手を受けていた。

 真帆と恭介は、沈黙したままで、その光景を見つめた。


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『夢のあとさき』  (3)

  (3)

「大丈夫? 歩けますか?」
 俯いた真帆の顔を覗きこむようにして、恭介は抱きかかえるように彼女を支えた。
 二人の後ろでは、孝子が心配そうに立ち尽くしている。そして、長椅子に掛けた列席者達のひそひそと囁く声が聞こえてくる。
 厳かなパイプオルガンの演奏が流れる中、誰もがこの淋しい花嫁に同情して、その姿をじっと見守っている。最前列の祐介の両親は、悄然として肩を落とし俯いたままだ。
 
 真帆は、ゆっくり顔を上げた。
 正面の祭壇上の壁面に、瞳を閉じキリストを抱くマリア像が、慈愛に満ちた表情で彼女を見下ろしていた。全てを愛でて、許して、抱擁するようなしっとりと美しい像を見つめながら、真帆は幸せに包まれていた頃を思い出した。
――――祐介の傍で笑顔の自分……。
「私、先輩が式を挙げた教会で遣りたい」
「ああ、君が遣りたいところでいいよ。別に形式には拘ってないから」
「ホント? そこね、すごく大きな教会で広い庭があるの。その庭で、まるで小さな北欧の村みたいにテーブルを並べて、バイキングのパーティを開いてくれるの。お料理もね、近くのホテルが出張して来てくれるから」
「はは、解かった解かった。じゃあ、一度見に行こう」
「うん、絶対気に入るわ」

 1年前、研究室に詰めることが多くなった祐介に、結婚を持ち出したのは真帆の方からだった。大学から続く付き合いは、いつも彼の仕事に左右された。薬品メーカーの研究所で働く祐介は、新薬の治験が始まると、泊り込みで研究に没頭する。自宅にも帰らずに、会う事も儘ならなくなった。そんな生活が何ヶ月も続く。真帆は、仕事を生活の中心に置く祐介の傍にいるために、どうしても結婚したいと思った。
 今にして思うと、大学のサークルで知り合った二人は、いつまで経っても友人感覚を拭い切れなかったのかも知れない。果たして、祐介に、自分が一番必要な人間であったのか、七年も恋人という関係を繋ぎながら、真帆ははっきりとそうだと言えないともどかしさを感じていた。
 そして、その不安な気持ちを拭いきるように、「結婚」という儀式に固執したのかも知れない。祐介にとって、自分だけが必要な女でありたい。彼が帰り着く場所になりたいと思っていた。
 真帆にとって祐介は、身も心も燃え尽きるような昂ぶりなどないが、傍にいて安らげる存在。でも、ただ一人の愛しい男性であることは間違いない。それが、きっと二人の愛の形なのだろうと思っていた。
 そんな祐介との心地よい優しい時間をどうしても失いたくはなかった。
 しかし、全ては終わってしまった……。真帆は、彼の冷たい背中を思い出し、目を伏せた。

「真帆さん」
「あ、ごめんなさい。大丈夫です」
 恭介の声に、ベールで表情を隠した真帆の顔が前を見つめ、小さく息を吐く。
 彼女の後ろでは、見守っている列席者達が落ち着かない様子で、皆、一様に教会の入口の扉が開けられないかと気にしている。
 真帆を迎える日本人の小太りの神父が、
「フィアンセの方はまだ見えないのですね?」
 と、優しく微笑みながら尋ねた。
「はい。神父様。申し訳ございません。事情があって遅れております」
 真帆が一礼をして沈んだ様子で言うと、神父は慰めるように優しく微笑んだ。
「そうですか。しかし、それでは結婚の祝福をお与えするわけには行きませんね。祝福は相手の方が見えられてから、私が責任を持って執り行ってあげましょう。今は、列席頂いた方々と貴女に、神のご加護があらんことを祈りましょう」
「ありがとうございます。神父様」
 神父の言葉に、真帆はその場に膝を突き、ブーケを胸に手を組んで静かに目を閉じた。

 恭介は、静かに祈りを捧げる真帆の、清らかな姿に心を痛めた。
 兄のあのときの身勝手な言い分が思い出され、恭介は、唇を噛んだ。
 全てを皆に伝えてこの式を中止させれば、彼女のこれからの苦しみが多少なりとも薄らぐかも知れない。
 真帆は、兄の気持ちを既に知っているはずだ。しかし、こうして兄を待っているということは、二人の間で結婚の意志を確かめ合ったという事だろう。
 兄はここへくるのだろうか。本当に兄が現れなかったその時は、真帆に全てを伝えねばならない。恭介の気持ちは沈んでいく。
 彼は思い悩みながら、細い肩を落としこうべを垂れ、敬虔な祈りを捧げる真帆を黙って見下ろしていた。
 その可憐であでやかな美しさが、あまりに儚く哀れだった。

 祈りが終わった時、真帆は立ち上がり、神父にもう一度、丁寧にお辞儀をして言った。
「神父様。まだ婚約者は来ませんが、お願いがあります。指輪の交換……いえ、私の指に指輪を嵌めてもらっても良いでしょうか」
「真帆さん!」
 驚く恭介を制するように、真帆は神父をまっすぐ見つめたまま凛として言った。
「私はこの指に、結婚した証を頂くために、今日は式を取り止めなかったのです。おかしな事をと思われるかも知れませんが、今、いらして頂いた方たちの前で、指輪を嵌めたいんです。もし彼が間に合わなかったら、皆さんに見てもらえませんから」
 恭介は、真帆の躊躇いのない言葉を聞いて、どきりとした。そして、もしかしたら真帆は恭介が来ないと思っているのかと、言葉を失くした。
 列席者達の間からもざわめきが起こった。しかし、真帆は神父から視線を逸らすことはなく、その表情には迷いはない。
「貴女の気持ちはわかりますが、神聖な儀式です。フィアンセに嵌めてもらう事に意味があるのですよ。彼はきっと来ますから、それは信じなさい」
 神父は、驚いた顔に笑みを取り戻し、真帆を慰めるように肩に手を置いた。
「はい。勿論信じています。彼は来ると……。でも、皆さんに私が指輪を嵌めるところを見て頂きたいのです。こうして私達のために集まって頂いていますのに。そうでないと祝福された気になりません」
 神父は困った顔を向けていたが、真帆の懇願する顔に、ほだされたようだった。
「解かりました。宜しいでしょう。弟さんでしたね? 嵌めてあげて頂けますか?」
「あ、はい。解かりました……」
 恭介は、差し出されたビロードのトレイの上の、二つのプラチナの控えめな輝きを放つ小さい輪を見つめた。

 嵌めていいのか?――――と、手をすっと差し出した真帆の顔を不安な表情で見る。
 彼女は微笑んで、そんな恭介に応えた。
「恭介さん、良いんです。あの人の事は全て解かっています。でも、今日は来てくれると信じたいんです。だから、お願いします」
 恭介は、驚いて真帆を見た。彼女の目に涙が溢れている。
 差し出された細い指は、まるで覚悟を決めているという風に震えもしないで、恭介の手につかまれた。
 信じたい。それは恭介も同じ思いだった。
 指輪を取って、真帆の左手の薬指にすうっと滑らせた。指輪は持ち主に戻ったというように、そのまま指の付け根へ収まった。
 真帆は、恭介に満面の笑みを返した。
「ありがとう、恭介さん。これで証が出来た……。私が祐介と結ばれたと言う……」
 指輪の存在を確かめるように、手の甲をじっと見つめて、真帆はその瞳に溢れた涙を頬に零した。
 恭介はその涙を、言葉もなく見ていた。彼女が全てを知っていて受け入れているのは、間違いなかった。


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『夢のあとさき』  (2)

  『夢のあとさき』 
   (2)


「恭介さん……?」
 
 大河内恭介。祐介の三歳違いの弟。
 彼と会うのは、本当に久しぶりのことだった。祐介と付き合いだし、彼の家に出入りするようになった頃、恭介はまだ高校生で、それも兄の祐介と違い、どちらかというと繊細でおとなしそうな彼とは、挨拶を交わすくらいで親しく話したこともない。
 ましてや、恭介が県外の大学に進学してからは一度も会うこともなく、今日の再会は五年ぶりになる。
 式の出席者を確認する時、祐介からも、弟がこの式にも出るかどうか解からないと、曖昧な返事を貰っていた。たった一人の弟だが、真帆には何故か遠い存在だった。

 その恭介が、突然に彼女の前に現れ、兄の代わりに自分をエスコートするという。真帆は、どう答えていいのかわからなかった。
 ただ、出会った頃と違い、恭介はどこで会ったとしてもきっと分らないほどに、大人の顔に変わっている。少年だった恭介はここにはいない。

 彼は、戸惑う真帆の前に、堂々とやってきた。白い礼装用のネクタイを襟元で緩め、無造作に伸びた髪を掻き上げながら、真帆の前に見おろすように立った。そして、長身の背を屈め、はにかむように笑いかけた。
「恭介! そんな失礼なことを言うものじゃない。祐介の代わりが務まる筈ないだろう!」
 父が彼を制するように、腕を掴んで引きとめる。恭介は、困り果てている父親に、諭すように話した。
「こんなに探しているのに、連絡もしてこない兄貴を、真帆さんに待てというつもりなの? こんな大切な日に遅れるだなんて、来てくれた人に何て詫びる気? 式をキャンセルした方が、彼女だって傷つけないで済むんじゃないのか」
 彼は躊躇いもなくそう言い放って、父の手を払う。
「きっと、ここへ向かっている。車だから連絡できないのかも知れない。それまで、何とか時間をずらしてもらって……」
「兄貴は、来るかどうか解からないよ……!」
「恭介!」
 父親の言葉を遮って、恭介は真帆見つめた。哀れむような彼の視線が真帆を包む。
 真帆は、彼の言葉を聞いて蒼白になった。大きく目を見開いて、白いレースの手袋の震える指先を、隠すように両手を膝の上で握り締めた。

 来るかどうか解からない――――祐介が式に来ないなどということを、ここにいる誰もが、いや、来てないことを知ってざわついているだろう親族たちでさえ、『来ない』とは思っていないはずだ。恭介の否定的な言葉が、真帆の胸に突き刺さる。言葉もなく、脅えるような揺れる瞳で、恭介を見つめた。
 そして、恭介の口元が、次の言葉のために動くことを恐れている。彼は知っているのかもしれない。祐介のことを……何かを。真帆は、強張った表情のままで息を呑んだ。
 この場の誰もが、どうする事もできず、ただ黙ったまま、時間を気にした。

 その沈黙の時を破ったのは、孝子の明るい声だった。
「真帆、そうして貰いなさいよ。祐介君の代りを遣って貰いなさい」
「お母さん!」
 祐介の両親も驚いて見つめる中、孝子はにっこり笑って、手を胸であわせると、
「そうよ。その内に祐介君も来るんだから、それまでの間じゃない。教会側が待てないって言うんなら、仕方ないわ。隣に立ってて貰うだけで良いんだし。これ以上、遠くから来てくれた招待客を待たせるわけにはいかないでしょう」
 と、安堵したように顔を恭介に向け、ついで彼の両親を促すように相槌を打った。
 真帆は、母の顔を心配そうに見つめる。そして、恭介に不安な顔を向けた。彼は、孝子の意見に賛成するように、微笑んでこくりと頷いた。
「お母さんがそう仰るんでしたら……」
 義理の母は困惑した顔で真帆を見た。父は「馬鹿者が……」と、小さく呻いた。
 
 真帆は、恭介の視線を気にしながら、肩を落としている義母に笑いかけた。両親の気持ちを思うといたたまれなくなる。
「お義母さま、心配しないで。祐介は来ますから。また研究所の仕事が気になって、それしか見えなくなっているんですよ。いつものことだから、気にしていません」
「真帆さん、本当にごめんなさいね」
 父ももう一度、彼女に頭を下げ、憔悴仕切った顔を上げて言った。
「解かりました。教会の方には祐介が遅れる事を伝えて、形だけでも進行してくれるように伝えます。列席者には、私から馬鹿息子の事情を話して、遅れてくることを詫びておきますので……」
 父親は、白髪の年老いた眼鏡の顔を痛々しいほどにやつれさせて、また孝子と真帆に、膝に頭がつくほどに体を折って頭を下げた。

 真帆は、口元を結んだまま、固い表情で両親を見つめる恭介を見た。今は、この弟の申し出を快く聞いて、今日の式を無事に終わらせたい。
 意味ありげな彼の視線は、この場の雰囲気を最悪のものに変える危険性を孕(はら)んでいるようだった。
「恭介さん。じゃあお願いします。傍についていてくれるだけでいいですから」
 真帆は冷静に、そして穏やかに恭介に言った。彼は、ゆっくりと頷いた。

「失礼します。では、そろそろ教会の方へご案内しますので」
 世話係の男性が、恭介の両親に言って、白い手袋の手を通路の方へ差し出した。
 入れ替わりに、慌しく数人の気付け係りの女性が入ってきた。

「じゃあ、真帆さん。私達は教会で待っているわね」
 両親が、複雑な笑みを浮かべ、頭を垂れながら出て行った。
 恭介は、椅子から立ち上がりベールを直されている真帆の傍へ立った。真帆が見上げるように彼に視線を向けると、
「真帆さん……。すみません。おこがましいことを言い出して」
 と、消え入るような声で呟いた。
 先ほどまで、父親に居丈高に話していた彼とは別人のように、頬を赤らめ、恥ずかしそうに頭を下げた。
 その様子に、真帆はふっと高校生の恭介を思い出した。真帆が話しかけると視線を泳がせ真っ赤になってはにかむ、ガラス細工のような透明で純粋な少年だった。
 真帆は、漸く穏やかな気持ちになって、彼に微笑かけた。
「ありがとう、恭介さん。とても嬉しかったです」
「いえ……、こんな困った兄でも最後まで信じてやりたい気持ちなんです。絶対、貴女を裏切らないと思いたいんです」
「え……恭介さん……」
 恭介は、一瞬顔を曇らせて、視線を下げた。真帆は、彼の表情にどきりとして、顔を覗きこんだ。
「真帆さん、じゃあ、教会の方で待っています」
 しかし彼は、そう言って笑いかけ、背を向けた。恭介の後姿を、真帆は微笑を消し去り見送った。
 
 ――彼は本当に知っているのかも知れない。祐介がここに来ない理由を……。でも、たとえこの結婚式が茶番劇であっても、どうしても式を挙げたい。それがこれからの私の唯一の支えになる。

 真帆はオーガンジーの柔らかさを手に感じながら、ウエディングドレスの体を抱きしめた。体中から溢れてしまいそうな後悔を、自分ひとりの胸に収めるために。

 
 穏やかな陽射しが、ウエディングドレスの長いベールを透かして、薄い影を落としている。舞い落ちる桜の花びらが、祝福するように肩に降りかかって来た。
 ガーデンの中央に厳かに建つ教会は、まるで異国の風景のひとコマのように、輝く黄金色のカリヨンベルを高い塔に揺らしながら、静かに、荘厳に佇んでいる。
 その重々しい扉が、真帆と、彼女を愛しんできた孝子のために、静かに開かれた。

 教会の中は、ステンドグラスに偏光された柔らかな光に満ちていた。高い天井や、壁の優しい壁画が、聖なる場所をより厳(おごそ)かなものにしている。
 パイプオルガンの穏やかで清らかで深い音色が、心を包むように流れ、真帆を待つ列席者は、皆一様に頭(こうべ)を垂れる。
 全てが愛のために存在するこの場所に、真帆は母に手をとられ、赤い絨毯の上をゆっくりと進んだ。

 最後まで女親の自分が、バージンロードを真帆の手をとり歩くことを嫌がった孝子。そして、父親のいないことを涙ながらに詫びた気丈な母。真帆は、前を見つめたままで、母の手を握り締めた。ありったけの感謝をこめて。そして……、これから母が陥る苦悩に心から詫びながら……。
 
「ごめんなさい。お母さん」
一歩踏み出すたびに、声を殺して呪文のように呟き唇を噛む。
 
 ――――もう、後には戻れない。私は祐介と生きてゆく。

 胸に光を放つクロスをさげた、白髪の神父が、優しい笑みで真帆を迎えてくれる。神父の手にした聖書が、彼女には石の様に重々しく見えた。真帆は、その神父の立つ清らかな場所へ、果たして自分が立てるのかと、不安に刈られた。汚れてしまったわが身。真帆の体は、震えている。

 そして、その神父の隣に、優しく微笑む恭介の姿を見た。
 真帆は、彼を見た瞬間、心が溶かされるように熱い感情が溢れてきた。
「祐介……」
――――こうして微笑みかけるのは祐介だった。こうして手を差し伸べるのは祐介だった。私の傍に立つのは祐介以外なかったのに! 何故、こんなことに!
 もう、溢れてくる涙を止めることは出来なかった。

「真帆さん……」
 恭介は、孝子から受け取った真帆の手を握り締めた時、その指先の震えに気付いた。そして、ベールに覆われた真帆の頬に流れる涙にも……。
 彼は、言葉もなく、ただ真帆を黙って見つめた。真帆が、兄の事で傷つき苦しんでいる。恭介は、兄に怒りを覚えた。余りに身勝手で、人として許せないと思っていた。
 泣き崩れてしまいそうな真帆の肩を、しっかりと抱いた。

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「夢のあとさき」  (1)

 書き直しもかねまして、こちらに削除した小説を載せました。
 内容も変わるかも? です。よかったら、読んでやってください。 



  『夢のあとさき』
(1)春の教会にて


 窓一面に春が溢れている。
 風に花びらを雪のように舞い散らせ、重いほど咲き誇る枝を広げた桜の三本の大木。まだ、緑の葉を纏わない木々の林立する中に、この桜だけが春に薄桃の色をつけている。
 郊外にあるこの教会は、白いチャペルを木々の間から覗かせた、広いガーデンを持つ静かな風景の中にあった。
 そのガーデンを覆うように三本の桜の木は、咲き誇る枝を絡めあい、芝生の庭を翳している。そして、その風景を絵画のように窓から見ることができる結婚式場が、庭を囲んで真向かいにある。
 葉月真帆は、純白のウエデイングドレスを身につけ、結婚式場の控え室の窓辺に座っていた。部屋の中も桜の薄桃色の陰に染められ、穏やかな春の香りが漂ってくるようだ。
 その天井近くまで開いた大きな窓の風景を、真帆は身じろぎせずに眺めていた。微かに光沢のある白の、シンプルなウェディングドレスと、たっぷりとほっそりした肩に溜まる長いベールに美しく飾られながら、堅い表情を崩すこともなく、ただ見つめている。

 今日、彼女はここで、人生最良の時間を過ごす。人々の祝福を受けて。

「着いたかしらねえ、祐介君……」
留袖の襟元を整えながら、真帆の母の孝子は、腕時計に目を落としながら呟いて、溜息を漏らした。彼女は落ち着かない様子で、しきりに控え室の扉に目を向けている。朝から、一度も姿を見せない新郎を心配して、折角の娘のウエディングドレス姿も、感激して眺めるという気さえしないほどだった。

 新郎がまだ姿を見せない。この異常な出来事を知ったのは、真帆の着付けが漸く終わった頃だった。
 新郎側の親族から、祐介がまだ着いていないと詫びが入った。来たらここへ越させるからと、彼の叔母に当たる人は、不安な顔で遣ってきて、急かされるように出て行った。
 孝子は、娘の晴れ舞台と浮かれていた気分に、水を差されたような思いだったが、その時は、すぐに現われるだろうと思っていた。
 しかし、新郎の祐介はまだ来ない。刻々と式の時間は迫ってくる。

 真帆は、猫足の優雅なチェアに軽く腰をかけて、白く透き通った蝋人形のように無表情な顔を、落ち着かない母に向けた。
「忙しいのよ、きっと。私の我儘を聞いてくれて、式の後すぐに旅行へ行くようにしてくれたんだから。仕事を片付けるのは大変だと思う」
「何を言ってんのよ! こんな大事な日に仕事云々なんて言ってる人いないわよ! 馬鹿にしてるんじゃないの、あの人」
 孝子は、不愉快そうに眉根を寄せ、珍しく声を荒げた。
 彼女にとって娘の一世一代の晴れ舞台を、滞りなく終わらせてやりたいというのが親心だろう。娘を不安にさせているフィアンセが、今は腹立たしくて仕方ない。
「何故、こんな大事な日に遅れるのか!」と、あの扉から祐介が飛び込んできたら、怒鳴ってやるつもりでいた。
 確かに、娘のフィアンセは、馬鹿がつくほど仕事熱心だ。製薬会社の研究員をしているが、式の準備でさえ忙しいと、いつも真帆に任せていた。おまけに、いよいよ具体的に挙式の事を進める頃には、突然にドイツへ新薬の共同開発などと言って旅立ってしまった。とにかく、「仕事、仕事」と言い訳されて、孝子も流石に腹に据えかねている。文句の一つも言いたくなるではないか。
 だからと言って、娘の結婚相手である、大河内祐介(おおこうちゆうすけ)を嫌っている訳ではない。むしろ、大学生の時に、娘の友人として家に出入りするようになって、その爽やかで礼儀正しい好青年を「恋人になさい」と、焚きつけたのは孝子だった。思惑どおりに付き合いだした娘を、たった一人の親として暖かく見守ってきた。

 あれから七年、やっと長い交際期間を経て結ばれる二人を、彼女は心から祝福している。夫を真帆の幼い頃に亡くし、女手一つで育ててきた孝子にとって、真帆を祐介に託すことはこの上ない喜びであり、そして身を切られるような淋しさも感じる複雑な一日となるはずだ。
 しかし、今はそんな気持ちも吹き飛ぶような容易ならざる事態に、孝子は時間とともに苛立ってきた。
「変だわよ、祐介君」
 まだ言い足りないように、椅子に掛けた真帆の傍に立って、前にしつらえた等身大の姿見を覗き込んだ。
「忙しいから、結婚式は教会でやって、披露宴も身内だけのガーデンパーティだなんて、あんたのおばあちゃまが生きていたら、きっと許して貰えなかったわよ! そりゃあしきたりにはうるさい人だったんだから」
 真帆の母は、腕時計に目を落としながら呟いて、溜息を漏らした。
「仕方ないの。祐介は忙しい人だから。今回だって、わざわざドイツから帰ってくるのよ。式を取り止めようって言わないだけ、マシよ」
 真帆は、暗い表情をしたままで、窓を眺めながら言った。
「それはそうだけど……」
 孝子は、美しく着飾りながら、もう一つさえない表情の真帆が、実はずっと気になっていた。
 まさか喧嘩でもしたのかしら――と、朝から、気になっていたが、きっと緊張しているせいだと思い直した。愛する人と結ばれるという、幸せの絶頂にいるはずの花嫁が、暗い気持ちでいるわけがない。
 孝子は、これ以上娘が余計な心配をしないように、明るく言った。
「でも、とにかく早く、貴女のこの艶やかな姿を見せてやりたいのよ。きっと、あんまり奇麗だから、驚くわよ」
 真帆は、孝子の言葉にふっと笑みを漏らし、少し頬を赤くした。 表情の緩んだ真帆を見て、孝子もほっと笑顔になった。

「七年間も結婚の話が出ないから、母さん、心配してたのよ。でも良かったわ。まあ、少し身勝手なところもある人だけど、優しいし、しっかりしてるからいいだんなさんになってくれるわよ」

「そうね。思い込んだら、人の言うことなんて聞く耳持たずで、何でも一人で決めちゃう人だけど、そんな人の方が私には合ってると思う。製薬会社の研究員だっていうと、皆驚くの。バイタリティある営業マンタイプだって」
と、少しはにかんで新郎のことを語る真帆が、孝子には本当に可愛く見えた。

 常々、控えめなタイプの真帆には、多少強引なくらいの頼り甲斐のある男の人が良いと思っていた。祐介は、真面目で何事にも懸命で、確かにワンマンなところはあるが、いつも真帆を気遣う優しさも持っている。娘の結婚相手としては、言うことはない。 

 孝子はもう一度、腕を上げて時計を見た。
「後20分で式の時間よ。そろそろ、教会の方へ向かう時間だね。祐介君、もう来てるでしょうねえ……」 
「大丈夫よ」
 そうポツリと言うと、真帆はまた、窓の桜に目を向けた。

 コンコン。
 その時、扉がノックされた。

「ああ、やっと祐介君来たんじゃない? はい、どうぞ!」
 孝子の声に、控え室の扉が大きく開けられた。真帆も、無表情なままで、扉の方を見た。
 ドアが開けられて、そこに立っていたのは、祐介の両親だった。初老の人の良さそうな夫婦は、同じ様な強張った表情をして、突然深々と頭を下げた。
「お父義さま、お母義さま」
 怪訝な顔を向ける孝子の顔を見られないというように、もう一つ分頭を下げ、
「真帆さん、お母さん! なんと言ったらいいか……。祐介と全く連絡が取れないんです。勤め先や立ち寄りそうなところを皆で探したのですが、手がかりさえなくって……。教会側が、どうするのか……。つまり式を中止にするのかどうか訊ねてきていまして。私達としても、このまま息子が現れないとなると中止せざるを得ないかと……」
と、祐介の父親は搾り出すような声で話した。

「ど、どうして! どういうことです! 祐介君、連絡もして来てないんですか!? 中止だなんて、そんな馬鹿なことがありますか!」
 孝子は、ただ頭を下げたままの祐介の両親に、困惑して怒鳴った。式の間近になって、新郎が来ないなんて、謝ってすむ問題ではない。ましてや、招待客がすでに式の開始を待ちわびているだろうに……。
 孝子は眩暈を覚えるほど、焦燥感に襲われた。娘の晴れの日に……、こんな信じられないことが起こるなんて思ってもみない……。たやすく中止だなどと口にする彼の両親に怒りを覚えた。
 そして、困惑した顔で窓辺の真帆を振り返った。真帆は黙ったままで、頭を下げたままの祐介の両親を見つめている。
「どうしましょう……。今更、式を止めるなんて……そんなこと」
 孝子は頬に手をあてがい、真帆に向かって呟いた。
 真帆は、しばらく皆を見て、考えていたようだが、決心したように言った。
「きっと、祐介さんは仕事で遅れているんです。ここへ直接来るって言ってましたから、向かっている筈です」
「でも、それなら連絡くらいあるでしょう。何かあったんじゃあ……」
 と、孝子は蒼白の顔をして、沈んだ声を出した。
 その取り込んだ様子を、入口の後ろから伺っていた教会側の世話係が、中を覗き込み、訊ねた。
「あのう、ご両親様。それで式の方はいかがなさいますか?」
 黒のスーツの世話係は、時計を気にしながら、中の沈鬱な面々の一人一人に顔を向けた。
「あ、新郎は遅れてきますが、時間どおりはじめて下さい。これ以上ご招待の皆さんを待たせたくないので」
 と、真帆は孝子の肩越しに、間髪いれずに世話係に向かって返事をした。
「真帆! 待っていた方がいいんじゃない? いくらなんでも新郎がいない式なんて可笑しいわ」
 孝子は、迷いもしないで返事をする娘に、諭すように顔を覗き込んで言った。

「いいの。次の組が待っているし、遅らせたら迷惑をかける。こっちに向かっているのは確かだし、つくまでの辛抱だもの」
「真帆さん、本当に申し訳ない。どうか祐介を許してやって下さい」
 祐介の両親は、声を震わせて、また深々と頭を下げた。
「でも、祐介君が来るまで、神父さんの前で一人よ。そんなこと可哀想で見てられないわ!」
 顔を歪めて孝子はそういうと、口を閉ざしてしまった。祐介に対して怒りが込みあげて来ているのは、誰が見ても解かる。彼女の言葉に、皆、一様に黙ってしまった。

「あの……」
 控え室の扉を開け放ったままの入口に、ひょうっと長身の若い男性が立っていた。
真帆も、孝子も、黙って顔を向けた。少し伸びた髪を掻き揚げながら、彼は、照れ臭そうに、躊躇いがちに真帆を見て、そして、ぼそりと言った。
「真帆さんさえ良かったら、僕がエスコートしましょうか?」
「え?」
「迷惑をかけてる馬鹿兄貴の代りに……」
 真帆は、目を丸くして、驚いた顔を彼に向けた。彼女の知らない顔が、優しく微笑んでいる。

 窓越しの桜は、少し強い風に吹き降ろされて、花びらが奔放に舞い散っている。
 春の嵐に散ってしまう桜の花は、美しければ美しいほど心に切なさを残してゆく。

posted by 関 なみ 14:32comments(2)trackbacks(0)